【はじめに】本サイトと運営者について

プロフィール

はじめまして!このブログの運営者で
コロナ禍でそれまでの東京暮らしから地方へ移住したあやかです。

このページでは、私に関する自己紹介をさせていただきます。

運営者はどんな人?

一言で言えば、直感力があり、「ことば」をベースに生きていこうとしている人間です。
これだけだとなんだか怪しい人のように見えますが、ちゃんとしています(笑)

東京生まれ東京育ちの人間で、生まれてから、東京を出たことなんて一度もありませんでしたが、昨今のコロナ禍において、もやもやが浮き彫りとなり、勢いにのって、現在は縁もゆかりもなかった地方で暮らしております。

自然を求めて旅していた頃(2018年・埼玉県にて)

地方で本業がありつつも、「ことば」をベースに!の通り、文章を書く=ライターとしても細々と活動している、といった状況です。

今の私を作ったできごと(1)大学時代の学び

子どものときから、歴史にとても関心がありました。

大学へ進学するとき、就職のことを考えて学部を選んだ方がいいと言われましたが、関心のないことを学んでも、私の性格上絶対に続かないことが分かっていたので(笑)。

昔から好きだった歴史を学べる学部を選びました。

今思えば、この時から「一般企業に就職する」という、所謂世間一般の”当たり前”が、私には合ってなかったんだと思います。この選択が実は、その後の働き方や学びに影響が。それはこの後に書きますね。

大学時代は歴史学(日本史)を主専攻とし、歴史を仕事にするにはどうしたらいいのかな?という疑問から歴史系の博物館で働く人=学芸員ということを知り、副専攻として博物館学を選択、学芸員課程を履修します。また、韓国の文化にも関心があったので、第二外国語として韓国語を選択、4年間きっちり学びました。

今も趣味程度でたま~に(笑)テキストを読みます。コロナ禍の2020年には韓国語の翻訳コンクールにも挑戦しました!

本当は韓国語を現地で学びたかったので、留学したかったけど、色々あり断念。せめて学芸員の資格はしっかり取ろうと、大学生活の後半はほとんど博物館に関する学びでした。

歴史学と博物館にどっぷりな大学時代でした!

大学内に小さな資料館があったので、そこでアルバイトもしました。この資料館では、アルバイト学生が、展示のサポートをしたり、資料館の新聞を発行したりします。
新聞は、手書きだったのですが、このときから先生方にインタビューして記事を書いたり、デザインを考えたり、イラストを描いてみたり、博物館の記事を書いたり……。
今思えばこれも、今の「ことば」というところに繋がってた気がします。とにかく楽しかった記憶しかありません。

仲間と一緒に手書きで作っていたお便り。手作り感が満載なところが好きでした!

大学3年の終わりから就職について本格的に考える時期に入りますが、学芸員になるには、やっぱり大学院進学が一般的です。
留学同様にこれも色々あって断念、まずは普通に就職しようということに。

今の私を作ったできごと(2)大学時代の就職活動

最初にも書きましたが、関心のないことについて、私は驚くくらい続きません。
どんな企業にしようか、どんなところで働きたいか……色々と悩んだ結果、旅行がとても好きだったこともあって、旅行会社に就職しようと決意します。

観光学などについては、プラスアルファ的な要素でしか学んでおらず、旅行会社への就活は惨敗続き。就職自体やっぱりどうなんだろう?と悩みだし、焦ったところで何もうまくいかないので、一度就活を辞めて、4か月ほど、日本各地をひたすら旅行します。北は北海道、南は沖縄まで。

沖縄県:嵐のCM撮影でも話題となった古宇利島のハートロック。海、川が好きなので、また「水」をテーマに旅がしたい!
(Photo by Ayaka Yabe)

旅行に少し飽きた段階で、ちゃんと就職しようと改めて決意をしたときに、たまたま、大学の就職サポート担当の方からこの会社どう?と紹介していただいた企業が、私が最初に就職をした会社です。

今まで面接を受けたことのない分野の企業でしたが、社員さんの人柄や会社の雰囲気がとても良くて、ここなら長く勤められるかも!と直感的に思いました。

今の私を作ったできごと(3)社会人1年目から3年目:介護職

そんなこんなで、最初に正社員として就職をした会社で、勤務先として提示されたのが老人ホームでの介護職でした。
なんとなく就職が決まったときからそんな感じはしていたのと、家庭の事情で介護業界は身近だったので、比較的マイナスイメージが強い介護という仕事に対する抵抗は、全くありませんでした。

介護時代の仕事については、
介護の体験談をシェアするプラットフォーム「本音で介護職」:初めての介護職「【介護士の体験談】大卒からいきなり介護施設に入った話」
内で詳しく書いているので、良かったらご覧ください。

介護といえば、日常生活のサポートスタッフのイメージですが、これも本当にたまたまで、当時のホーム長から「入居者のご家族さん向けのお便り作ってみないか?」と声をかけていただきました。

月1ペースで発行するお便りで、構成から文章作成、施設内で実施したイベントの写真撮影など、ほとんどを担当しました。
それまで私が関わった世界で、介護という畑違いの場所でありながら、またこういうことができたことが嬉しかったですね!

当時作っていたお便り。クオリティは別として、作ることの楽しさは当時も今も一緒!(諸事情により一部のみ)

不規則な仕事でしたが、相変わらずの旅好きで、当時は若かったこともあって(笑)
夜勤明けで旅行に行ったりと、介護職時代は月1ペースで旅行をしていました。その中で、旅って仕事にならないのかな?と直感的に思ったことがきっかけで、趣味程度に始めたのが、旅メディアでのライター業です。まだまだ当時は本当に趣味の一つでした。ライターについては後半で。

社会人2年目の終わりに、職場内で色々あって、仕事が本当にしんどくなってしまいました。続ける自身も何もない、メンタルも体力もボロボロに。
ただ、ここで突然辞めるなんて、私自身とてもじゃないけど納得できるものじゃありませんでした。
なんで私が辞めるの?辞めるべき人は他にいるんじゃないのかと。
メンタルボロボロのくせして、内心は腹が立つのと同時に強気でした(笑)
昔からそうなのですが、めちゃくちゃ負けず嫌い。一番じゃなくてももちろんいいけど、納得できないことに対しては真っ向勝負するタイプ。

それに、百歩譲って、もしここで辞めたとしても、また何かのタイミングで戻るかもしれない。後は、介護という仕事をしていた証みたいなのが欲しいと思いました。
介護の世界にも様々な資格があって、その中で唯一の国家資格が「介護福祉士」です。それなら、ただ辞めるのではなく、資格をとってからにしようと決めました。

そんなとき、これも本当に良いタイミングだったのですが、それまでは現場経験が3年あること且つ4年目でないと試験を受けることが出来なかったものが、ちょうど受験資格が改正されて、現場経験3年目でも受けられるように。

働きながら、試験勉強をして、見事に合格をしました。

メンタルボロボロの中、自分のためにと勉強した介護ラスト1年。無事に合格、立派な登録証が届きました!

今の私を作ったできごと(4)社会人4年目から6年目:大学時代の学びを活かした歴史の仕事

介護福祉士の資格をとったタイミングでこれも、本当にびっくりするくらいのタイミングなのですが……。

大学時代にお世話になった方に、卒業して以来に連絡をしたことがきっかけで、いわゆる「歴史関係のお仕事があるんだけどどう?」と声をかけていただきました。
博物館や歴史関係の世界はそもそも就職が狭き門なのと、就職が奇跡的に決まっても非正規であることが一般的です。
もちろん非正規だったけど、私の学歴で声をかけてもらったことも有難かったし、やっぱり”好き”や”関心のあること”を仕事にしたいと、転職をしました。

正社員として働いていた介護施設のホーム長には「介護福祉士の資格をとったからもったいないとは思うけど、やりたいことがあるのは知ってたから応援するよ」と背中を押していただきました。今思えば本当にありがたい話です……。

やっと夢だった仕事に就くわけですが、周りのレベルの高さについていくのに必死でした。この仕事を始めて2年目のときは、これまたベストタイミングで非正規だからこそ、2か月弱仕事を休ませてもらって、研修を受けに行きました。

文書館で働く専門職:アーキビストの研修を修了。学芸員よりも知名度が低いですが、認証アーキビストという資格が日本でもやっと誕生!

卒業論文以来に論文執筆なんかもしたりして、歴史の世界にどっぷり。基本的に大学院生に交じっての研修で、自分のレベルの低さに落ち込むことが多々ありました。
なんとか論文を書いたものの、周りからは来年は働きながら院に通うのはどう?と色々とアドバイスをいただいていた中で、世界的にコロナに。

有難いことにリモートワークをさせてもらっていたにも関わらず、コロナ禍での東京でのリモートワーク生活やそもそも私って大学院で何を学びたいのかだったり、ただ、院生に対して劣等感があるからそれを解消するためだけに進学しようとしてるんじゃないかなど、色々な疑問がわきました。

その中で、やっぱり私は文章を書いていきていきたいなと感じたの同時に、地方で暮らしたい!との思いが生まれました。

歴史関係の仕事を始めて、3年目且つ社会人6年目の夏辺りから地方での求人を探し始め、自分のやりたいことや条件だったりがドンピシャ且つ直感的に「私ここに行くんだ、間違いない」と感じた求人を見つけたのが、2020年11月頃で、現在の職場です。

相変わらずここでも直感力が働いています(笑)
2度目の転職が決まったのと同時に、歴史関係の仕事を紹介してくださった方には、申し訳ない気持ちがあふれてしまい、転職することを伝えたときは泣いてしまいました。
ただ介護職時代のホーム長同様に、「次が決まってることは嬉しいことだから応援するよ」と言ってくださいました。これまた本当に有難い話です。

この辺りの私の気持ちは、朝日新聞社が運営する「かがみよかがみ」というサイトにエッセイとしても投稿しておりますので、良かったらそちらをご覧ください。

【特集:お金との距離感】正社員=幸せ?固定概念を捨てたらわかった、私にとっての幸せ

【特集:エッセイを書いたあと】安定よりやりたいことが大事だから。この春、私は2度目の転職をした

今の私を作ったできごと(5)趣味で始めたライター業

現在の話に入る前に、ここでは、ライター業について。

介護職時代の2017年1月から旅メディアでトラベルライターとして活動を始めました。単純に「旅が仕事になる方法」を検索して見つけた働き方です。

もちろん、サイトへの寄稿だけで食べていくことは不可能で、最初は趣味で行った旅行について、紹介したいと思うところを好きなように書いている、そんな形でした。
ただ途中からやっぱり私は「ことば」が好きなのだと気付いたことや、「旅」といったジャンルにとらわれず、これまでの様々な経験を文章にしたい、且つ論文といった研究者が書くような文章ではなく、もっとフラットなもの、つまりはライターで食べていきたいと思うようになりました。

こういった思いもあって、まずは本業もライティング(情報発信)のようなものにしようとの考えから、現在の仕事に繋がっています。

ライターとしての執筆実績などはこちらにまとめてありますので、ご覧ください!

今の私について:2021年4月~現在

長くなりましたが、こういった経緯で、現在、茨城県へ移住し、地域おこし協力隊(情報発信)になりました。

協力隊では主に、SNSでの発信や広報誌の作成(デザインも勉強中)、地域の方にインタビュー取材をしたものを記事にしたりと、自己流だったライティングを学ぼうと、ライター講座を受けていたりと、まさにライティング関係を中心に活動しています。現在は市の魅力がつまったオウンドメディアを作るべく、日々奮闘中です。

協力隊活動(1年目)についてはこちらにまとめてありますので、ご覧ください!

傍から見たら、異業種での転職で繋がりがないように見える私の人生ですが、ずっと「ことば」が好きなことに代わりはなく、これからもご縁と直感を大切にしながら、「ことば」をベースに生きていきたいと思っています!目指せ独立!!笑

以上、私の自己紹介でした。

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旅とことばと私と……
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